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最高裁判所第二小法廷 昭和57年(あ)647号 決定

本籍

岩手県岩手郡玉山村大字松内字梁場五六番地の二

住居

盛岡市山王町四番一号

会社役員

岩崎善吉

大正九年二月二〇日生

右の者に対する所得税法違反被告事件について、昭和五七年三月二九日仙台高等裁判所が言い渡した判決に対し、被告人から上告の申立があったので、当裁判所は、次のとおり決定する。

主文

本件上告を棄却する。

理由

被告人本人の上告趣旨意は、事実誤認、単なる法令違反の主張であり、弁護人阿部一雄の上告趣意は、事実誤認、量刑不当の主張であって、いずれも刑訴法四〇五条の上告理由にあたらない。

よって、同法四一四条、三八六条一項三号により、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり決定する。

(裁判長裁判官 木下忠良 裁判官 監野宣慶 裁判官 宮崎梧一 裁判官 大橋進 裁判官 牧圭次)

○ 上告趣意書

被告人 岩崎善吉

右の者に対する所得税法違反被告事件の上告趣意は次のとおりである。

昭和五七年六月一四日

弁護人 阿部一雄

最高裁判所第二小法廷

御中

第一点 原判決には、判決に影響を及ぼすべき重大な事実の誤認がある。

原判決は罪となるべき事実として、第一審判決が認定した事実を過誤なきものとして、そのまま肯認している。

即ち、「被告人は、昭和四六年分の課税所得金が一億〇、七八三万三、四七四円であり、これに対する所得税額が六、八三八万八、〇〇〇円であったのに、不正な方法により所得を秘匿したうえ、昭和四七年三月一五日盛岡税務署長に対し、所得金額が五四一万五、一〇〇円である旨虚偽の所得税確定申告書を提出し、昭和四六年分の所得税六、七二四万二、九〇〇円を免れた」とするものである。

しかし、第一審判決添付の別紙1修正損益計算書の勘定科目には、次の如き重大な事実の誤認がある。

一 売上関係

(一) 本件において問題とされるのは、被告人が営む不動産業につき、昭和四六年一月一日から同年一二月三一日までに不動産売買の取引のうち、右期間に成立した取引についての事業所得である。

不動産売買取引成立の時期は、右が有償双務契約であることに鑑み、当該契約に基く債務の本旨に従った履行がなされた時点と解すべく、税法上も代金支払完了、目的物件の引渡、即ち目的物件の使用収益を開始させた時期及び所有権移転登記申請の時期が重視されている(「法人税基本通達等の一部改正について」―昭和五五、五、一五付直法2―8新旧対照式9ページ以下参照)。

(二) 前記修正損益計算書勘定科目番号〈1〉〈3〉及び〈4〉の取引は、右基準に依れば、昭和四六年に確定的に成立したものと解することは出来ない。

1 〈1〉の取引について(小泉弥太郎関係)

イ 昭和四六年三月頃株式会社帝国ホテルの委託を受けた小泉弥太郎が、被告人から開発の目的で購入を約した土地は岩洞湖畔の左記の全地域である。

大半が共有地の上、個々の土地の地番境は客観的には定まっていても、具体的には必ずしも明らかでなかったが、既設道路との関係から、地勢上他の地域の区別可能な一区画をなしていたので、一括して利用するに適していたところである。

(1) 岩手県岩手郡玉山村大字藪川字外山二五番二

一 山林 五二二、〇七三坪 共有 三七

(2) 同上 二五番三

一 山林 五三、一九二坪 共有三七

(3) 同上 二六番四

一 山林 五九〇、二二八坪 共有 九

(4) 同上 二六番五

一 山林 一七一、三六六坪 共有 九

(5) 同上 二六番一二

一 山林 六九、四六七坪 共有 一二

(6) 同上 二六番一

一 山林 一二三、一七四坪

(7) 同上 二六番二

一 山林 三、六四三坪

(8) 同上 二六番三

一 山林 六八、九六六坪 共有 八

(9) 同上 三四番一

一 原野 三、四五五坪

原審証人滝沢六太郎の証言によれば、単独所有地、共有地の共有持分全部を被告人において取得して小泉に渡す事、登記は地権者から中間省略の方法で小泉に移転する事、期間は昭和四六年三月一〇日から昭和四七年三月末日までとし、それを達成できぬときは被告人において損害賠償を支払い、その額は協議して定める旨を約し、念書を作成した事が明らかで、これが小泉との取引の基本となったものである。

数筆の土地を一括して売買取引した際に、計画区域全面積の引渡を停止条件とする事は、当時許容されており、原審証人滝本末蔵の証言によっても、小泉から共有地にあっては、共有持分すべてもパーフェクトに取得するよう強く要求され、又、右土地の内(6)、(7)、(8)は昭和四七年七月頃取引が成立した事が明らかであり、(1)、(2)の共有地についての共有持分の移転登記は、昭和四七年に持越したものが若干あり、(2)について争っていた藤田光孝の共有持分については、昭和四九年二月六日に帝国ホテルに移転登記がなされ、漸く解決している。

従って、本件物件の売買代金は或る程度昭和四六年中に入金された分は、これを仮受金経理として処理し、本件取引が成立した年度に収入として計上すべきである。

ロ ところで、右九筆の土地に関する一括した契約が基本であったに拘らず、小泉弥太郎側の都合があって何通かの契約書が作成され、本件では、昭和四六年九月三〇日付土地売買契約書記載の契約が問題とされて来たのである。

その売買目的物件は、左の通りである。

(1) 岩手郡玉山村大字藪川字外山二五番二のうち

一 山林 一四一、一九〇m2(四二、七八五坪)

日野沢一族共有部分

(2) 同上 二五番三

一 山林 一七五、八四一m2(五三、一九二坪)

(3) 同上 二六番四

一 山林 一、九五一、一六六m2(五八〇、二二八坪)

(4) 同上 二六番五

一 山林 五六六、四九九m2(一七一、三六六坪)

(5) 同上 二六番一二

一 山林 二二九、六四二m2(六九、四六七坪)

ハ (1)については、単に日野沢一族の共有持分権を目的にしたように思われるが、小泉は、前記イ、(1)の二五番二山林全体の所有権を取得する事を目的とした事は前述のとおりで、日野沢一族の共有部分が取得できる目途がついたのでその持分に相当する地積を示したに過ぎない。

二五番二の登記簿謄本には、日野沢一族である日野沢才七、日野沢才一郎のみならず、米沢イツ外一六名の各共有持分が売買により小泉に移転登記されている事によっても窺える。

仮に、原判決の如く日野沢一族の共有持分の売買と解しても、右共有持分の移転登記は昭和四六年九月三〇日になされているもの、該持分に相当する地積を二五番二から分筆しておらず、之を小泉側に引渡し、使岡収益可能の状態におくには至らなかったのである。

ニ (2)の土地については、原判決の説示する如く、幅光夫の単独所有に帰したものであるとしても、その旨の登記がなされておらず、前共有者の内、藤田光孝の如くこの点を争う者もあるので、被告人としては、幅光夫から買い受けても、小泉に対し前共有者から各共有持分権の移転登記を中間省略の方法でさせる義務があり、昭和四六年中には完了せず、昭和四七年二月一五日藤原清外七名の各共有持分権(合計六五分の一〇)の移転登記がなされたものであり、藤田光孝に至っては、前述の如く昭和四九年二月六日(株)帝国ホテルに対し移転登記をなし、(2)の土地全体の所有権が(株)帝国ホテルに帰したのである。

従って、(1)、(2)とも昭和四六年中に債務の本旨に従った履行はなされなかった事が明らかである。

ホ (3)、(4)、(5)については、一括売買取引のため共有持分権の移転登記は昭和四六年中に完了したものの、各地番毎の境界を明示して引渡すことは、昭和四六年中にはなされなかった。

ヘ 更に、地権者からの買入価額はまちまちであったが、取引の促進と円滑を期するため、最高価額の線で精算する旨を約したので、その精算も昭和四七年四月以降になされており、右取引の損益は、昭和四六年中に判然算定できなかった。

よって、(1)ないし(5)の本件各土地の売買取引は、昭和四六年中に確定的に成立したものとは解せられない。

ト 被告人において、債務の本旨に従って履行がなされぬ場合は、解約或いは損害賠償の責を負う危険にさらされており、本件売買契約書にもその旨明規されている。

しかし、小泉において本件売買契約を解約しなかったのは当時不動産ブームで、土地は値上りの趨勢にあり、これを買い付けて保持していれば、直ちに開発して使用収益しなくとも、値上りの利益が期待されたからであって、不動産の価額が横這い、或いは下落の傾向が見られれば、当然解約或いは損害賠償の請求を受け、多大の損害を覚悟しなければならなかったであろう。

2 〈3〉の取引について(大京観光株式会社関係)

イ 被告人と大京観光株式会社との昭和四六年一〇月二五日なされた売買契約の目的物件は次のとおりであり、さきに1のイ、ロにおいて述べたとおり、小泉弥太郎が被告人から買い受ける契約をしたものであるが、同人の意向によって被告人が、大京観光(株)に売却することとなったものである。

(1) 岩手郡玉山村大字藪川字外山二五番二

一 山林 一、七二五、八六一m2(五、二二〇・七二坪)

(2) 同上 二五番三

一 山林 一七五、八六一m2(五三、一九二坪)

右(1)の土地は六五株の共有、(2)は共有から幅光夫の単独所有となったが、その旨の登記なく、登記簿上は六五株の共有であるので、〈1〉の取引と同様被告人は買主の大京観光(株)に対し、(1)の物件の共有持分権全部の移転登記、(2)についても結局同様の移転登記並に右土地の全地域の引渡をしなければ、債務の本旨に従った履行がなされたとは言われない。

ロ ところが、(1)については実際は六一株共有持分の内、五三株共有持分が昭和四六年中に買主大京観光(株)に移転されたのみで、日野沢イソ、石川慶視、山沢義男、宮崎要の各共有持分(合計六一分の六)については、昭和四七年一月二四日買主に移転登記がなされ、売却に反対した藤田光孝の共有持分については、買収不能のため、この持分六五分の二に相当する五三、一六六m2の土地を、昭和四七年二月二四日共有物分割により、(1)の土地から二五番四として分筆して解決している。

(2)については、昭和四六年中に買主に対し移転登記も引渡もなされず、結局帝国ホテルの買戻しの合意が得られぬ関係もあって解約された。

よって、本件取引は、昭和四六年に成立したものとすることはできず、(1)について一部支払いを受けた代金については、仮受金経理として処理し、右取引が確定的に成立した昭和四七年の事業所得として計上すべきである。

ハ 然るに、原判決は、一審判決同様(1)については、共有持分の移転登記が、昭和四六年中になされている分に相当する収授した代金は、売上に計上すべきものとされるが、共有不動産の取引によっては、数筆の不動産の取引と異り、共有持分すべての移転登記を了し、該不動産の所有権が完全に移転し、使用収益開始の可能の状態になった時に、確定的に成立したものと解するのが妥当である。

3 〈4〉の取引について(東和レジスター販売株式会社関係)

イ 被告人と東和レジスター販売(株)との取引は、被告人が、昭和四六年一一月二六日左記物件を右会社に代金一億〇、一〇〇万円で売却したものである。

岩手郡玉山村大字藪川字大の平二一番一八二

一 山林 二四三、九五四m2(七三、七九六坪)

右契約には、目的物件の隣接地にある岩手県開発公社管理の道路を、買主が利用できる旨の承諾書を売主である被告人の責任において、買主に交付すること並に右承諾書が間に合わぬときは、金五〇〇万円を承諾書交付の時まで保留する旨の特約条項が定められており、被告人は、昭和四六年中に右承諾書を買主に交付できなかったため、代金のうち九、八〇〇万円の支払いを受けただけで、三〇〇万円が留保され、更に右道路問題を早期に解決して買受けた土地の使用収益ができるよう要求され、一方岩手県観光開発公社からは、右道路問題に関連して「水源地」を先ず解決するよう要請され、被告人は、東和レジスター販売(株)から同社に売渡した土地のうち、岩手県観光開発公社で「水源地」として使用していた二〇〇坪を、金二〇〇万円で買戻して公社に無償で譲渡し、約三、〇〇〇万円を投じて給水設備を造って渡し、道路利用の承諾を得て昭和四八年三月頃漸く解決したもので、本件土地の所有権移転登記は、昭和四六年一二月一四日になされたものの、特約条項の履行はなされず、その不履行によって、本件売買契約が解約され、多額の損害賠償を請求される危険性もあり、本件土地代金は、昭和四六年中の収入に計上すべきではない。

ロ 原判決は、東和レジスターにおいては、前記の如く、本件土地の所有権移転登記を受けたとき本件土地の所有権を取得して、売買契約そのものは履行されたものと解し、道路の使用問題は、後日解決すれば足り、その特約条項の不履行を理由に契約の解除や損害賠償を被告人に請求する意思がなく、そのことは、当時から被告人に表明していた事が認められるとして、特約条項と土地売買契約を切り離して、本件取引が昭和四六年中に成立したものとされる。

しかし、本件の特約条項は、本件契約の重要な内容をなすもので、右特約条項履行の有無が、本契約の死命を制する、蓋し、道路利用の有無は、土地の使用価値延いては、交換価値につき多大の影響を持つからである。

東和レジスターが、特約条項不履行を理由に、本契約解除等の意思がなかったと謂うが、これは、〈1〉の取引について述べたと同様、本契約締結当時は不動産ブームで、土地の値上りが見込まれた事と、被告人が、日時を要しても誠意を以て解決してくれると考えた特別事情があったためで、土地売買契約と、その特約条項を簡単に切り離して処理できるものではないからである。

二 仕入関係

前記修正損益計算書勘定科目番号〈16〉、〈17〉、〈18〉について(日野沢才七外、熊原清外、成島忠篤関係)

右仕入金額は、いずれもこれに対応する同番号〈1〉〈3〉及び〈4〉の各取引が、昭和四六年中に成立していないから在庫である上、各地権者との精算も同年中になされていないから、仕入金額には計上すべきではない。

三 道路工事原価関係

1 前記修正損益計算書勘定科目番号〈23〉の民部田幸次郎に支払った道路工事代金は一、四一五万円であるのに、昭和四六年一〇月二一日付金二〇〇万円の領収書を架空のものと認定して、その工事代金を一、二一五万円と計上しているのは事実誤認であり、原審は、民部田幸次郎の検察官に対する供述のみを根拠に、被告人の右領収書記載の二〇〇万円支払いの事実を斥けたのは失当である。

原審証人松井康郎も、民部田は、金を受け取らぬのに領収書を書くような人ではない旨述べている。

2 同勘定科目番号〈24〉の佐々木善八に支払った工事代金が六〇三万円であるのに、昭和四六年一〇月二八日付八〇万円の領収書を架空のものとし、五二三万円と計上したのは事実誤認である。

被告人は、第一審及び原審において、佐々木善八に、現実に金員を支払って同年一〇月二八日領収書を出して貰ったものである旨供述し、原審証人佐々木善八も、昭和四六年一〇月頃岩洞湖畔の道路工事をした事があり、八〇万円の領収書は工事代金を受領し、岩崎被告人宛に出したものに間違いなく宛名は、うっかり書き忘れた旨証言しており、被告人には、架空の領収書を出さなければならぬ特段の事情はなかったのであるから、被告人の道路工事費として認むべきである。

3 同勘定科目番号〈25〉の杉山武松、三浦政人、花坂建設の工事代金は六〇〇万五、〇〇〇円であるのに、昭和四六年九月三〇日の花坂建設の領収書を架空のものと認定し、杉山と三浦に支払った一〇〇万五、〇〇〇円のみを計上したのは、事実誤認である。

原審証人佐々木善八の証言によれば、昭和四六年九月三〇日付領収書は同人の作成したもので、花坂建設(株)の社長花坂勝男は、同証人の兄で、同会社は倒産したがブルドーザーが残っていたので、同年九月の岩洞湖畔の道路工事に使用した。右工事は、被告人岩崎から民部田が請負い、その依頼で証人が施工した事、領収書の金額は、五〇〇万円払うと言われたので記入したが、金は民部田を通じ四〇〇万円しか受領せず宛名は、岩崎か民部田にするか判らぬので記入しなかった事が認められ、被告人の一、二審におけるこの点についての供述と総合すると、前記領収書が架空のものでない事が明らかである。

しかし、原判決が、佐々木善八の質問てん末書の記載と、民部田幸次郎の供述と矛盾するので、信用できぬと謂うが、第一審の民部田の証言、供述こそ信用できぬ部分が多く、道路工事費用の上前をはねていた事もあるのに反し、被告人、佐々木証人には何ら架空の領収書を作成すべき特段の事情はないから、前示認定は失当である。

四 その他の勘定科目関係

1 同番号〈43〉の支払手数料七、九五六万円には、同番号〈1〉小泉弥太郎との取引に関する一、三二五万円、同番号〈3〉大京観光との取引に関する一、〇〇〇万円、同番号〈4〉東和レジスターとの取引に関する三、〇〇〇万円が含まれているが、〈1〉〈3〉〈4〉の各取引は、昭和四六年中に成立しなかったから、これらは同年度の支払手数料として計上すべきではないし、同番号〈46〉の雑費中、大京観光との取引に関する二五〇円の送料も亦同様である。

2 被告人は、柳沢義春に対し同番号〈6〉の小林昭一との取引に関してa一二五万四、五〇〇円、同番号〈7〉の毛利修との取引及び契約不成立となった三和プレシーザーとの取引に関してb五、二五七万七、三五〇円を支払っているもので、右aの金額及びbの〈3〉の取引の手数料金二、二七三万八、〇〇〇円を同番号〈43〉の支払手数料に加算すべきである。

(1) aの手数料について

被告人が、小林昭一と右〈6〉の取引した事は当初から争いなく、柳沢義春とは右取引の利益を折半する約束があったので、右取引の利益折半額一二五万四、〇〇〇円を同人に支払い、受領書も貰ったが、昭和四七年六月二〇日本件脱税問題で仙台国税局が査察に入った際、一部の書類を押収されたまま、未だ還付されぬので、右領収書を証拠として提出出来ぬ事を遺憾としている。

(2) bの手数料について

イ 被告人の一審並原審の供述、原審証人滝沢六太郎の証言によれば、被告人は、柳沢義春と勘定科目番号〈7〉の毛利修及び三和プレシーザーとの取引については、それぞれの利益を折半することを約していたので、昭和四六年一二月下旬来盛し、グランドホテルに投宿した柳沢義春から利益配分金の請求があり、滝沢六太郎を同道して柳沢と面談し、その指示に従って利益配分金五、二五七万七、三五〇円の内、四、〇〇〇万を岩手銀行材木町支店、被告人の息子岩崎光雄名義の預金口座から、柳沢の妻永芙子名義の富士銀行目黒支店の預金口座に送金し、残一、二五七万七、三五〇円はグランドホテルにおいて柳沢に支払い、同年一二月二〇日付柳沢が会長をしているサン観光株式会社の金五二五万七、三五〇円、但し、玉山村大字藪川大の平山林売買利益分配金として記載された領収書を受取っており、右銀行送金の点も大蔵事務官像日出雄作成の銀行調査書によって明らかである。

右領収書の但書及び柳沢義春の昭和四七年六月二四日付質問てん末書によれば、三和プレシーザーとの取引のみの利益分配金の如く窺えるが、三和プレシーザーとの取引は、当時確定的に成立したものではなく、従って、利益額も定まらず、結局解約不成立となったもので、右てん末書にある数字は、柳沢が一方的に計算したものであり、被告人としては、そのまま承服できるものではなく、毛利修との取引の利益分配金を合計したものと解して処理したのである。毛利修との取引の利益は四、五四七万六、〇〇〇円、その二分の一は二、二七三万八、〇〇〇円が含まれているので、これを手数料として計上すべき事は、論をまたない。

ロ 原判決は、被告人が、柳沢の妻へ送金した五、〇〇〇万円は、柳沢義春が、昭和四六年一一月一二日頃毛利マチから四、八〇〇万円を借受けて、之を被告人に貸付け、被告人が、その支払いとして利息金二〇〇万円を加えた五、〇〇〇万円に当る旨の、柳沢義春の前記並同月二八日付質問てん末書の記載を根拠に、被告人の主張を斥けている。

ハ しかし、被告人は、柳沢から四、八〇〇万円を借受けた事は全くなく、同人から前年取引した事のある関山義人の所得をカバーするため名義を貸してくれと頼まれて、昭和四六年一一月二六日付売主被告人、買主三品建設株式会社(実体は、毛利マチ)間の土地売買契約書に名義を貸した事があり、その契約書に買主は、売主に手付金として四、八〇〇万円支払う旨の記載があるので、これに関連させたのではないかと思うが、この契約には全然関係なく、柳沢も昭和四八年八月六日付検察官に対する供述調書で、右売買契約に触れ、質問てん末書の内容を相当訂正しており、前記質問てん末書の内容を信用する事はできない。

五 被告人の犯意について

被告人には、脱税の意思はなかった。本件不動産の取引については、大部分が共有地である上、地権者の数も多く、各地番の共有持分を完全に取得して買主に移転し、その旨の登記を果さなければ、各土地の所有権を取得させ、開発の目的を達する事はできないと考えていたので、仕入れに係る共有地の一部持分の取得が出来ぬものについては、昭和四六年中に取引が成立したとは考えていなかったし、仮に右取引によって相当の利益が見込まれたとしても、(1)三和プレシーザーとの取引不成立により違約金を支払わねばならず、その額は三億五、〇〇〇万円を下らぬものと思われた事、(2)東和レジスターとの取引につき、道路問題解決のため、岩手県観光開発公社との関係から給水設備費等三、〇〇〇万円が見込まれた事、(3)関山義人との取引に関し、自然破壊による原状回復の問題が生じ、約二、五〇〇万円の支出が予測された事、(4)地権者と買入価額につき精算の問題があった事等により、損益勘定すると欠損と判定する要素があり、所得税申告時点では、損失額がどれ位になるかと不安感を持っていたので、本件不動産の取引中、前記勘定科目番号〈1〉〈3〉及び〈4〉については、昭和四七年以降に申告すればよいと考えていたからである。

六 よって、原判決には、売上関係、仕入関係その他の勘定科目についても重大な事実の誤認があり、各科目につき増減をなせば、その結果は本件課税所得金額の算定延いては判決に影響する事明らかで、之を破棄しなければ、著しく正義に反すると思料するので、原判決の破棄を求める。

第二点 原判決は、量刑不当である。

一 被告人には、前述の如く脱税の意思はなかったし、本件は昭和四六年の所謂不動産ブームに乗じて、従来取引の目的とされなかった物件までが取引の対象とされ、中央大手業者の進出と地元地権者の間に立って取引の成立をはかった際になされたもので、資金の乏しい被告人としては、両者の中間に立って取引をまとめるのに苦慮し、地権者に対する買入価額の追加払税金の負担までして円滑な取引の成立をはかった。

二 被告人の不正手段は悪質のものでなく、共有不動産の取引については、その成立の時期について見解の相違があり(国税局、検察庁)国税局に要請されるまま修正申告をしている事、本件取引の仕末については岩北産業に引継いだが、昭和四七年以降赤字となっているが、岩洞湖畔開発の先駆をなした事を御斟酌されたい。

三 被告人は、本件につき週刊誌等に喧伝されたが、自己の会社の商号を「三菱」産業としたため、財閥「三菱」と関係あるが如く誤解されるのを恐れた三菱関係者から、商号を変更するよう屡々電話があり、被告人も岩北産業と変更せざるを得なかった。昭和四七年六月二〇日同庁の強制査察がなされたのも、右関係者の影響ではないかと思われる。

四 よって、原判決を破棄され、一層軽減した御判決を希求するものである。

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